ネームリーディングは、名前のカタチ、音、エネルギー、バランスなどを観ながら自動書記的にリーディングします。姓名判断とは違って画数などは観ません。その時のエネルギーによって受け取る情報が変わりますので、時期を変えてリーディングするとまた内容は変わってきます。
以下がリーディング内容です。多少省いた部分もあります。内容が興味深く、また似たようなことを感じている方も少なくないと思い(とくに後半部分)、ご本人に許可をいただいて掲載しました。■は名前を伏せ字にしています。
「■■」という苗字はめずらしいですね。不思議なエネルギーを放っている苗字です。
■を口(くち)と見るか、箱や入れ物と見るか。
どちらにしろ異次元への入り口とみてとれます。
話が飛躍しているようですが、口は外界と体内をつなぐ入り口です。言葉を発して意思疎通をし、食べ物を咀嚼し、生命維持に貢献します。人間の体は単純化すれば、一本の管だと言われます。口から入れて肛門から出すという管。
無限大のシンボルの上にポッカリと開いた穴(口)。異次元への出入り口。
これだけでも霊的な何かを感じさせます。
また「■」という形は昔の足つきテレビを思い出させます。テレビやパソコンなどのモニターを連想させる形です。
テレビのスクリーンでは映像が流れますが、その中に本当に人がいるわけではありません。電波が像を結んで、私たちはあたかもそこに人やものがあるかのように見ているわけです。それは映像であって、実際の人がテレビの中にいるのではないのはわかっています。不思議なボックスです。
苗字の一番最初にその「箱」があるということは、あなた自身、あるいは「■■」姓の由来を辿っていくと、異界の入り口になるような霊的な職業にたどり着くのではないかと思われます。
もともと■■さまはそのような気質を持っておられるかと思います。こちらの物理世界にどっぷりとハマるのではなく、常にどこかあちらの世界に片足突っ込んでるみたいな。それが実在の肉っぽいところを薄め、存在に透明感をもたらします。ここにいるのにここにいないような。
しかしその存在感は大きいです。空気のような感じです。空気がなければ、人は生きていくことができません。普段は忘れているけど、いなくなって初めてその重要性に気づくというような、静かな存在感を放つ、外すことのできない人です。
神様なんてのもそんな風ですね。神社の本殿に閉じられたままの御神体に私たちは祈ります。
現実物質主義の人であれば、見ることもできない、本当にあるかどうかもわからない「何か(神様、御神体、依代)」に向かって拝むのは馬鹿じゃね?ってことになります。
しかし私たちが拝む時には物としての御神体に拝んでいるのではなく、本当はそこを依代として見えない世界のエネルギーに働きかけているわけです。このメカニズムをちゃんと知っていると神社の機能がうまく使えます。
神社は本来は中継所みたいなものです。そこを入り口として、より高い次元にアクセスする、そのための装置です。
■■さま自身がそういう存在だと言えます。エンパスであったり、霊媒的な役割を担ったり。しかし異界の入り口に立つ者は精神がしっかりとしていないとやられます。
そこで「■」が出てきます。安定感と上に伸びるエネルギー。
土着的な自然崇拝の雰囲気がありますが、これがストッパーになっています。
「禁」と似ているのもそういう意味合いがあるのかもしれません。
つまり精神だけで飛ぶとあちらに行っちゃって帰ってこれなくなる危険がありますが、ちゃんとグラウンディングして地につながっていると、どこまで飛んでも戻ってくることができます。
二つの漢字が一緒になり「■■」になると、入り口から入ってあちらの世界に行くけれど、また戻ってこれるという呪(ルール)がかかります。
違う見方をすると、「■」は大地の上に木が生えている状態ですから、地上部分も加わっています。また■■■■なのが限定的な印象を与えます。つまり区切られた土地に生えている木。広がっていく感覚ではなく、区分された限定地区となります。これもまた「禁」につながっていきそうですね。
つまり大地や地面という制限のない大きな括りではなく、ある一定の限定された地域という印象を得ます。そこに木が生えているので、自然にできあがったというよりは、何らかの意図により人工的に作られた林なのかもしれません。結界を張られた聖地と言うこともできます。
「■」という字も四角で囲まれた空間があり、全体から切り取られて入り口ができています。入り口とはそもそも限定的です。結界でもありますから。
簡単に言えば、シャーマン的な流れを持っている苗字ではないかと思われます。自然の霊的なエネルギーとつながり、こちら側の世界に変化をもたらすというような。
さて、ここで旧姓の「■■」を見てみましょう。
この苗字はわりとみかける苗字です。見た目もシンプルで、とくに深い意味は見てとれません。そのまんまです。
現姓が限定的な入り口から別世界への参入となるなら、旧姓は入り口のないどこまでも広がっている野原です。真逆な感じがします。
最初、この二つのお名前を眺めた時、ご結婚されていろんな変化があったんだろうなと思いました。かなり生活が変わったんじゃないか、と。しかしよく見ていくと、そうでもないのが見えてきます。それは「■■」さまというお名前との関係です。
「■」は個人としての自分を打ち出すより、公を重んじる意味合いがあり、プラスでもマイナスでもない中間地点、ニュートラルな状態です。
旧姓は落ち着いていて感情に振り回されることもなく、子供の頃から常に中庸な立ち位置を保たれてきたのではないかと思います。友達同士のケンカがあったら仲裁役になるような人ですね。人から相談されやすい人ではないでしょうか?
品が良くて高貴でエレガントな雰囲気があります。物事の整理整頓が上手で理路整然としていて、テキパキと物事を進めることができます。あまり悩み事もなく、ツルッとした素麺のような雰囲気です。
ツルッとした素麺と言っても、退屈そうでつまらないという意味ではなく、なにものにも染まらず、何かの思想に偏ることもなく、何かに没頭することもなく、客観的で冷静な視点で物事を見ているという意味で素麺です。アクがないのですね。
俗世間に染まることなく、高貴な身分の人のように世俗をちょっと離れた眺めてるような感覚をお持ちです。
それが人との距離感を生むので、自分にとっては普通でも、近い距離感を好む人たちにとっては「あの人、よくわからない」とか、「なんか距離置いてるよね」「お高くとまっている」と違和感を感じさせることもあったでしょう。
しかし同じような距離感を好む人たちにとってはちょうどよい塩梅で、近すぎず遠すぎず心地よいです。
旧姓の頃からすでに見えない次元からいろんなメッセージやサインは来ていたと思います。そこはかとなくそれをキャッチし、必要なことは活かしてこられたと思いますが、自分にとっては普通のことですので、それが特別なこととか思ってません。
他の人が聞いたら「えっ、すごーい!」と思えるようなことも淡々となされていたでしょう。自分を持ち上げないのも特徴的です。人から褒められたいとか認めて欲しいとか、そういう思いがあまりなく、人は人、自分は自分と線を引いておられますので、必要以上に人の干渉を受けません。ちゃんと線引きができます。そのため冷たい人と思われることもあったようです。
でもどこかしらカッコよさや洗練されたところがあり、同性から憧れられる対象になり、人は慕ってきます。
旧姓であれば、そうやって淡々と人生を歩んでいかれたと思います。すごいことも「ふうん」ぐらいで流して、特に大きな野望もなく、目の前にやってくることをこなして、一見平凡に見える人生を送られたと思います。
しかし内的な世界は抽象度が高いので、普通に暮らしていても俗世間に染まることなく、神聖なる世界に足を突っ込んでいるような雰囲気が漂います。
雰囲気的には神社の神主さんが祭礼をされる時の印象に近いでしょうか。神道の儀式は段取りは決まっていて余計なことはしません。洗練され、無駄がなく、清い場です。神聖な時空間の中で世俗的なエネルギーとは一線を期しています。鳥居をくぐって神社空間にはいると、邪気のない新鮮で神聖な空気を感じます。
旧姓の時はそのようなエネルギーに包まれています。
ところが現姓になると、その神聖なるエネルギーがシャーマンのエネルギーに変容します。シャーマンといえば、土着な感じがしますから、言葉は悪いですが、味噌も糞も一緒の状態です。自然界のごちゃ混ぜなエネルギーの中で生きるカタチとなります。
どちらもあちらとこちらの世界を行き来します。あちらの世界が、神々しい神聖なる空間であるか、神にも鬼にもなる生のエネルギー空間なのか、という差がでてきます。
これを■■さまの人生に例えれば、ご結婚前までは、自分の規律、ルールを持ち、人とは必要以上かかわらず、自分の世界を洗練させて、自分が思う自分らしさを保っておられたといえます。
が、ご結婚後、あるいは今の旦那様に出会われてからはその信念が崩れます。こんな世界もあったのか!と新しい世界観に導かれていくことになります。もともと霊的な流れの上におられますから、なるべくしてその流れに乗っていることになります。
以前の世界は、善悪、聖邪が分かれた世界。「これは良い、これは悪い」がはっきりしていて、システムがきちんと作動している世界。その世界には暗黙のルールがあるので、それに従っていれば問題なし。整然とコントロールされた世界と言えます。
その世界に疑問がでてきたというよりは、そうでない世界を知って、そちらに興味を持たれたのでしょう。
現れてきたのは、いわば混沌の世界。相対的な世界です。善も悪も相対的で、どこに基準を置くかで善は悪になる得るし、悪は善になり得ます。絶対的なものはなく、次々に変化していく流動的な世界。その世界の中では、自分がどう動くか、決めるかが全体に影響を与え、常に関係しあい、変化しあっています。
そのようなエネルギーに触れ、新しい世界に導かれていくこととなります。
どちらがいい悪いというより、好みの問題でしょう。
■■さまは探究心が旺盛の方であり、知的に刺激を受けたい方です。精神的霊的成長を求める方ですから、新しい世界が見えたらそこに行きたくなります。
先人たちによりルールが決められた整合性のとれた世界は心地良いですが、そこにいることよりも、ルール自体を見つけ出し、作っていく方が楽しいと思われたのでしょう。
霊的な探究には限界がありません。精霊たちとやりとりできる方ですし、そういう霊脈におられると思います。
自分が求めれば、自然界からメッセージやサインを得ることができます。
スピリチュアルや霊的なお仕事をするのも向いています。カウンセリングやセラピー、コーチングなどで人の成長をサポートすることも良さそうです。子供に接することもいいですね。
ごく普通の一般的な人たちとは毛色が違いますので、そういう人付き合いはあえてしなくても良いです。意識の高い人たちと交流すると良いです。
旧姓の時は少し近付き難い高尚で敷居が高い雰囲気があり、子供心に人との距離感に悩んだこともあったかもしれません。現在のお名前は敷居の高さは消え、庶民の相談にのってくれる村のシャーマンっぽさがあります。
いざという時には役に立ってくれそうであり、人がいやがることも進んでやってくれそうなたくましさがあります。たくましさというより「私の役目だから」という腹をくくった感ですかね。自分の運命を受け入れたようなたくましさが感じとれます。
平仮名でお名前を見てみますと、「0」がここに現れてきます。
つまり、何者でもない自分がここに表されています。
ヒラであり、目立たない。ただの0子。
プラスでもマイナスでも、善でも悪でもない、素の自分。
この人生を通しての旅は、素のニュートラルな自分になっていく旅と言えます。
ゼロに戻る旅。原点に還る旅。
自分がゼロになるとはどういうことか、また自分がいる世界のゼロ地点とはなんだろう?
そういうことを考える旅です。
宇宙の始まりや果て、意識の始まりや成長。
今という時を超えて、またひとつ外の世界に向かう。
自分という存在と外の世界との関係。
意識はどこから来て、どこへ行くのか?
見えない世界とはどのようなものか?
自分はいったい何者なのか?
このような疑問に正しい答えなんてありません。新しい見解が出てくれば、その分宇宙が書き換わります。天動説が地動説になったように。
そしてあなたは、この人生で一段階レイヤーを上がり、人生の前半とは違う領域に踏み込んでおられます。昔ほどスムーズではないですが、いろいろとあるなかで学ぶことは多く、平坦な野に樹木を植え(何も知らない状態から知恵を育み)、まだ見ぬ世界に思いを馳せるという、クリエイティブでエキサイティングな人生です。
最後にはひらがなの現姓っぽくなっていかれるのでしょう。
何者でもない自分。ただあるだけの存在であるが故に強烈な個性を発揮します。
自然界と対話をしながら、自分という存在が自分のみではなく、森羅万象と共にあるネットワーク的な存在。自分はないのだけれど、まわりのすべてが自分。
そういう世界がだんだんと具現化していくにつれ、自分のやるべきこと、今ここにいる理由などが見えてきます。
何もしなくても人が寄ってきて、やるべきことをもたらしてくれる。そんな方だと思います。
ヒーローズストーリーに合わせて言うと、「自分はゼロ地点にいる」と思っていたけど、それは自己満足の世界の中での話だったということに気づき、そのゾーンからでて冒険に出かけます。
そしてゼロ(だと思っていた)以外の世界を知りながら、自分は限りなくゼロに近づいていくプロセスを踏んでいきます。最後には、自分の原点、源泉にたどり着き、世界を理解します。
そんな流れになっているように思います。
自分の直感を信じて感じるがままに進んでいかれるとちゃんと導かれるでしょう。
シャーマン的な道や霊的な道を進まれるのでしたら、ちゃんとした師に導かれる方が良いです。自分の知らない世界であれば、既に知っている人と一緒の方が安心して進めます。
前述したとおり「■■」という苗字に邪気が入り込まないようストッパーがかかっていますので守られますが、同時に結界が、挑戦したがりの魔を呼ぶことがあります。結界を壊そうと面白半分にちょっかいを出します。自分にとっては未知の世界ですし、それらの手にかからないよう、霊的指導者がいると良いですね。
それはそういう世界に進みたい場合の話ですので、普通に生活する分はそんなに気にかける必要はありません。どちらにしろ波動の低いところやものには近づかないほうがいいです。
ただの人ですが、ただの人ではない。人とは一風違った人生を歩みそうです。
人と同じであろうとは思っておられないでしょう。独自路線を進まれて良いです。
無色になっていけばいくほどすべてを融合していきます。
最後には透明になって、ただある状態になることが理想です。
自分にとってそれはどういう状態なのか?を探究しながら、目の前にやってくることをこなしていけば、自分が求める世界にたどり着くでしょう。
たどり着いたら着いたで、そこから始まります。エンドレスな旅でどこまでも深めていけますので、やりがいのある人生です。どこまで深めていくか、その度合いは個人の好みです。ここに書いてあることを求めるも良し、そちらに向かわずに普通に過ごすのも良し。
「誰でもない、どこでもない、どちらでもない」は裏返せば、「誰にでもなれる、何にでもなれる、なにものにもとらわれない」ことになります。
漢字を見ると、ここに書かれているような傾向が現れてきますが、ひらがなを見ると、どちらのお名前も”無色透明”に向かっている感があります。宮沢賢治的に言えば「すきとおったたましひ」とでもいいましょうか。
このリーディングを読まれて思い当たるのであれば、この人生がどこに向かっているのか、自分のこの人生のストーリーは何か?というところが見えてくると思います。あとは自分を信じて進んでいかれれば、ちゃんと導かれて、進んでいくほどに道が現れてくるでしょう。
どの段階にとどまろうと、それはそれでオッケーという人生観があります。
「今が良ければすべて良し」です。
言い換えれば、今この瞬間しか存在しないのです。
自分をそこまで突き詰めることができたら感無量ですね。
宇宙にその感覚が響き渡り、あなたはそのバイブレーションに溶け込んでいきます。
ご本人から感想をいただきました。ありがとうございます。
名前だけでここまで分かってしまうなんて、正直驚きました。苗字や名前に対するリーディングは興味深い内容で、とても参考になりました。私の性格や特徴に関しては全くその通りです。(素麺の例えには思わず笑ってしまいました 笑)
悦月さんの深いリーディングによる文章は、とても読み応えがあって、全てのメッセージがスっと心に入ってきました。ここまで私の内面を言い当てた方は悦月さんが初めてです。
これからも自分の感覚を信じ、探究し続けていきたいと思います(^^)
このタイミングで依頼して本当に良かったです